聖歌とわたしたち③

司祭 パウロ 鈴木 伸明

●日本聖公会現行聖歌集の改訂基本方針●

 2006年11月に発行された日本聖公会現行聖歌集は、口語となった現行祈祷書との使用
を前提に発行された、本格版としては初めての聖歌集となります。作業にあたり、以下の
点を基本方針としています。

①原詩を再確認する
 聖歌集に掲載されている580曲のうち、海外の聖歌については、今一度原詩に立ち戻る
ことにしました。英語の聖歌の場合、一つの音符(シラブル)に一つの言葉が入ります。
I LOVE YOU は3つの音符で歌うことができます。しかし日本語の場合、一つの音符に一音
しか入りません。I LOVE YOU を日本語で歌うためには、「わたしはあなたをあいしていま
す」と15文字が必要です。英語ならば3のところ日本語では倍以上の文字が必要なのです。
 そのため英語の詩をすべて日本語に訳出するのは不可能で、強調点を決めて訳出するこ
とになります。従って原詩が同じでも、時代背景や社会状況によって訳出が変わるのはむ
しろ当然と言えるでしょう。その中で、ある聖歌については原詩の精神をもとに詩を大幅に
変更し、ある聖歌については原詩の精神を尊重しつつ、意訳を行っている聖歌もあります。
 歌詞が変わらなかった聖歌もありますが、原則としてすべて原詩に立ち戻る作業が行わ
れています。
 また現行祈祷書が口語となったことで、聖歌集もそれに合わせる対応を求められました
が、前述の文字数制約もあり、文語詩をすべて排除するのではなく、現代社会に生きる人々
がわかりやすい言葉を用いることとにしました。さらに差別語の修正も行われています。

②詩と曲の組み合わせ変更
 聖歌の改訂は詩の変更だけでなく、曲の変更もあります。聖歌を歌われた際、この詩は別の
曲で歌っていたのではとお気づきなられたことがあるのではと思います。曲の変更は、海外の
例を参考にしたり、新曲を採用したりしています。

③20世紀の作品を多く採用
 1959年版古今聖歌集の作品で一番多いのは、19世紀後半です。悪魔へ打ち勝つ主題
の聖歌で戦争をイメージするのが多いのも、当時植民地支配が広がっていた時代であり、
戦争が身近であったのがその理由です。
 しかし21世紀スタートから世界はテロリズムに震撼させられました。これからの聖歌集には、現代社会に存在する教会の働きに用いられる聖歌が多く備えられていなければなりません。
 そうしたことから新しい聖歌の採用、特にアジア、日本人の作品を多く採用しています。

甦りのいのちに与りながら

2022年4月17日

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

 「週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った」と、福音書にあります。婦人たちがお墓へと急いだのは、今は亡き過去の方となった、そして、それ以外には考えようのないイエス様の葬りの備えのためでした。ところが、そこにあるはずのご遺体が見つからず途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人が現れ、言います。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」と。婦人たちはイエス様の言葉を思い出しますが、簡単にはイエス様の甦りを信じることはできなかったことでしょう。
 けれども婦人たちは、「ここにはおられない」という言葉を受けてあちこち探し回りはせず、反対に「ここ」だけに注目して「イエス様が消えた、ご遺体が無い」と騒ぎ立てもしませんでした。もしそうしていたなら、「結局は甦りなどあり得ないことだ」で終わってしまったことでしょう。しかし、婦人たちはイエス様の言葉を思い出し、イエス様の言葉に心を添わせ、自らをコミットさせました。
 さらに、福音書はこうも書き残しました。「あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と。そのお告げを聞いた婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、天使の「お目にかかれる」という言葉を心に深く刻み込んで弟子たちに知らせるために走って行きました。ともすると、どのように甦えられたのかというほうに関心が向きがちですが、本当に大切なことはイエス様にお目にかかる、それ以上にイエス様のほうから出会ってくださるということです。しかも、お目にかかるとはちらっと見たとか、通りすがりに見たのではなく、相見えた、しっかり向き合い始めたということです。福音書に登場する多くの人たちは、イエス様に向き合い、向き合っていただくことを通して人生に大きな転換が起こったり、神様に造られ、いのちの息吹を注ぎ込まれた本来の自分を取り戻したりしました。
 また、福音書は「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお目にかかれる」と、今も私たちに伝えてくれています。そのガリラヤとは、かつて弟子たちがイエス様に出会い、イエス様から出会っていただき、お召しに与り、神様のいのちの内に第一歩を踏み出した所であり原点であり、今度は甦りのイエス様との出会いが備えられ、待ち受けている所です。このガリラヤに例えられる原点は私たちにも備えられています。不安の絶えない世の中ですが、甦りの恵みと力に与り、日々新たに歩み続けていくことができるよう祈り合いたいと思います。
 また、ウクライナでの悲惨な状況に置かれている方がた、未だ不安の拭えないコロナウイルス感染症に苦しむ方がた、医療に献身、従事しておられる方がたのために祈り続けます。
 神様の御恩寵の内に、主イエス・キリストの甦りの時を迎えられますように。

(東京教区HPより転載)

2023年宣教協議会 ニュースレター

ぶどうの枝だより Vol.1


2023年日本聖公会宣教協議会のホームページ

2012年日本聖公会宣教協議会 提言


2021年4月に行ったアンケートの回答結果


宣教の5指標(アングリカン・コミュニオン)

  1. 神の国のよき知らせを宣言すること
  2. 新しい信徒を教え、洗礼を授け、養うこと
  3. 愛の奉仕によって人々の必要に応答すること
  4. 社会の不正な構造を改革し、あらゆる暴力に反対し、平和と和解を追求すること
  5. 被造物の本来の姿を守り、地球の生命を 維持・再生するために努力すること

教会の5要素

  1. み言葉に聴き、伝えること <ケリュグマ>
  2. 世界、社会の必要に応え仕えること <ディアコニア>
  3. 生活の中で福音を具体的に証しすること <マルトゥリア>
  4. 祈り、礼拝すること <レイトゥルギア>
  5. 主にある交わり、共同体となること <コイノニア>

東日本大震災11周年記念の祈り・講演会のご案内

東北教区ホームページに東日本大震災11周年記念の祈りと講演会のご案内があります。

2022年3月11日(金)
14:15~ 東日本大震災11周年記念の祈り(教区内複数教会)
15:15~ 特別プログラム「東日本大震災後を生きる」(オンライン講演会)
16:45  終了予定

講演ポスター

式文

記念の祈り・講演会配信先

大斎節を迎えて

2022年3月4日

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

 大斎節最初の主日には「イエス様の荒れ野での誘惑」の話を聴きます。これは「神様に立ち向かい、徹底して従い仕えていく道こそ私の歩むべき道だ!」と歩み出されるに当たってのイエス様の決断、選択、再確認の出来事とも言えましょう。ちなみに、マタイ福音書では「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた」とあります。

 ところが、目撃者はいないようですので、イエス様の心の深い所で起こった葛藤が物語になったとも言われますが、誰をも差し挟ませない、イエス様と神様とだけの強く、深い結び付きの中になされたものとも思えます。

 イエス様は、既にヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられたということは、ご自身の進むべき道を選び取られたということでもあります。しかし、この期に及んでイエス様が選び取られた道と決断に向かって「誘惑」という横槍が入りますが、悪魔の一連の誘惑は却ってイエス様の決断と選択を強めこそしたものの、変更させ、脆弱なものにさせるものにはなりませんでした。そして、悪魔の誘惑にイエス様が打ち勝たれたのは単にイエス様個人のためだけではなく、私たちのためでもあります。そうでなければ、イエス様の働きは全ての人の救いのためであるという聖書のメッセージやそこに拠って立っているキリスト教信仰そのものが崩れかねないからです。

 悪魔は空腹のイエス様目指して攻め込んできますが、既に救い主としての歩みを選び取られたイエス様にとって「食べようか、やめようか?食べたらみっともないとか、神の子でなくなる!」という選択ではなく、神様の栄光と人々の救いの為に何をすることが救い主として神様の御心に適うことなのかという所に立っていらっしゃいます。イエス様は、徒に精神論だけを振りかざすのでもなければ、反対に物質至上主義を唱えてもいらっしゃいません。そうではなく、私たちの命も生活も救いも、一切は神様の働きなしには成り立ち得ないものなのだということを、ご自身の苦しみと闘い、飢えることを通して示して下さいました、そのことを心に刻み込みながら、今年の大斎節の歩みを始めて参りたく祈ります。

 今、ウクライナでの出来事はじめ、世界では私たちの心を痛ませる出来事が起こっています。恨みや憎しみは何も生み出さず、全てを打ち壊すものでしかないことを心に深く留め、イエス様に倣い、祈りを以て悪の力と闘い続けたいと思います。

 「四十日四十夜、わたしたちのためにみ子を断食させられた主よ、どうか己に勝つ力を与え、肉の思いを主のみ霊に従わせ、常にわたしたちがその導きにこたえ、ますます清くなり、主の栄光を現すことができますように アーメン」

(東京教区HPより転載)

ウクライナのための祈り

ウクライナのための祈り

正義と平和の神よ、
わたしたちは今日、ウクライナの人々のために祈ります。
またわたしたちは平和のために、そして武器が置かれますよう祈ります。
明日を恐れるすべての人々に、
あなたの慰めの霊が寄り添ってくださいますように。
平和や戦争を支配する力を持つ人々が、知恵と見識と思いやりによって、
み旨に適う決断へと導かれますように。
そして何よりも、危険にさらされ、恐怖の中にいるあなたの大切な子どもたちを、
あなたが抱き守ってくださいますように。
平和の君、主イエス・キリストによってお願いいたします。
アーメン。

ジャスティン・ウェルビー大主教
スティーブン・コットレル大主教


2月27日(日)にカンタベリー大主教とヨーク大主教から、ウクライナとロシアのために、そして平和のために祈るようにキリスト者に呼びかけられました。また3月2日の「灰の水曜日」には、フランシスコ教皇が「世界平和祈願・断食の日」を守るように呼びかけています。Thy Kingdom Comeのホームページや英国聖公会のホームページでも、世界の平和のための祈りへの参加が呼びかけられています。
また、WCCやNCCでも声明が発信され、祈りの呼びかけがなされています。

以下に、カンタベリー大主教とヨーク大主教の連名で作成された祈りの日本語訳をお届けいたしますので、大斎始日の礼拝や主日の礼拝の中で用いてくだされば幸いです。

正義と平和委員長  主教 上原榮正
管区事務所宣教主事 司祭 卓 志雄