聖歌とわたしたち①

司祭 鈴木伸明

●はじめに●
 文書部の編集担当の方より、日本聖公会聖歌集について10回にわたり書くようにとの
依頼がありました。
 現在の日本聖公会聖歌集が発行されたのが2006年11月のことでしたので、すでに16年が経過しようとしています。皆様の教会でも主日礼拝を中心に、用いられていることと思
います。また、教区宣教部主催で聖歌に関する勉強会が続けられておりますが、新型コロ
ナウイルスの影響により2年間、勉強会を休止せざるを得なかったのは残念でした。
 この16年、現在の聖歌集についていろいろなお声をお聞きしてきました。主には、①
聖歌を何故改訂せねばならないのか、②これまでの聖歌集はなぜ使えなくなってしまうの
か、③新しい聖歌になかなか親しめず、昔からある聖歌をどうしても用いてしまう、などでした。また、1959年発行の日本聖公会古今聖歌集から今回の日本聖公会聖歌集には168曲の聖歌が引き継がれませんでしたが、この中に愛唱歌があったのになぜなくすのかとか、私たちにとってテーマソングとも言うべき聖歌を削除するとは何事であるかとおしかりを受けたこともありました。さらには、引き継がれなかった聖歌を回復してほしいと、250人の署名が届いたこともありました。皆様のお声をお聞きしながら、編集指針をご説明してきましたけれども、歌の持つ力の大きさ、私たちの心への語りかける力強さを痛感しました。

●歌の持つ力●
 皆様はそれぞれお好きな聖句をお持ちだと思います。試練に遭った時、人生の節目に差
し掛かった時に、自分を支えてくれた聖句は、とても大切な存在です。
 そして皆様は、お好きな聖歌(愛唱聖歌)があると思います。愛唱聖歌は聖句同様、または聖句以上に私たちの心に語りかけてくる力を持っています。この聖歌が私を支えてくれた、この聖歌に勇気づけられたとの思いは、誰しも経験していることではないでしょうか。聖歌の詩の大半は聖書の言葉ですので、私たちの心に強く語りかけてくるのは当然と言えば当然ですが、歌の持つ力の大きさを皆様も実感されていると
思います。こうしたことから日本聖公会聖歌集の冒頭には、「聖歌は、神への感謝・賛美に対する私たちによる最高の表現」と書かれています。
 礼拝の中で聖歌は、自然発生的に備えられてきたのを、まずご理解いただければと思います。

「棕櫚の十字架の作り方」

聖公会の慣習では、復活前主日礼拝における「行進(主イエスのエルサレム入城を記念する)」において、「棕櫚の十字架」を掲げます。

浦和諸聖徒教会の信徒に作り方を図説いただきました。

ご参考になれば幸いです。

大斎節を迎えて

2022年3月4日

主教 フランシスコ・ザビエル 髙橋 宏幸

 大斎節最初の主日には「イエス様の荒れ野での誘惑」の話を聴きます。これは「神様に立ち向かい、徹底して従い仕えていく道こそ私の歩むべき道だ!」と歩み出されるに当たってのイエス様の決断、選択、再確認の出来事とも言えましょう。ちなみに、マタイ福音書では「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた」とあります。

 ところが、目撃者はいないようですので、イエス様の心の深い所で起こった葛藤が物語になったとも言われますが、誰をも差し挟ませない、イエス様と神様とだけの強く、深い結び付きの中になされたものとも思えます。

 イエス様は、既にヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられたということは、ご自身の進むべき道を選び取られたということでもあります。しかし、この期に及んでイエス様が選び取られた道と決断に向かって「誘惑」という横槍が入りますが、悪魔の一連の誘惑は却ってイエス様の決断と選択を強めこそしたものの、変更させ、脆弱なものにさせるものにはなりませんでした。そして、悪魔の誘惑にイエス様が打ち勝たれたのは単にイエス様個人のためだけではなく、私たちのためでもあります。そうでなければ、イエス様の働きは全ての人の救いのためであるという聖書のメッセージやそこに拠って立っているキリスト教信仰そのものが崩れかねないからです。

 悪魔は空腹のイエス様目指して攻め込んできますが、既に救い主としての歩みを選び取られたイエス様にとって「食べようか、やめようか?食べたらみっともないとか、神の子でなくなる!」という選択ではなく、神様の栄光と人々の救いの為に何をすることが救い主として神様の御心に適うことなのかという所に立っていらっしゃいます。イエス様は、徒に精神論だけを振りかざすのでもなければ、反対に物質至上主義を唱えてもいらっしゃいません。そうではなく、私たちの命も生活も救いも、一切は神様の働きなしには成り立ち得ないものなのだということを、ご自身の苦しみと闘い、飢えることを通して示して下さいました、そのことを心に刻み込みながら、今年の大斎節の歩みを始めて参りたく祈ります。

 今、ウクライナでの出来事はじめ、世界では私たちの心を痛ませる出来事が起こっています。恨みや憎しみは何も生み出さず、全てを打ち壊すものでしかないことを心に深く留め、イエス様に倣い、祈りを以て悪の力と闘い続けたいと思います。

 「四十日四十夜、わたしたちのためにみ子を断食させられた主よ、どうか己に勝つ力を与え、肉の思いを主のみ霊に従わせ、常にわたしたちがその導きにこたえ、ますます清くなり、主の栄光を現すことができますように アーメン」

(東京教区HPより転載)